About the Acclaim Collective
Acclaim Collectiveについて:
Acclaim の目的は、私たちの欲望を抑えつけ、私たちの精神を一律化し、私たちの生を盗み強奪し、私たち同士を敵対させ、私たちの世界や未来をメチャクチャにする資本主義・権威主義に抵抗し、そのようなあらゆるシステムを拒絶し、私たち自身それぞれの希望や幻滅と共に、そして他の人と共に、充実した愛や人生を少しでも多く分かち合いたい、ただそれだけである。しかし、ただそれだけのことをすることを阻む奴らが支配し、ただそれだけのことをすることが困難なことー異端なこととされているのが今の世界だ。
一握りの権力者・資本家の汚らしいツラや言葉、カネが常に世界の中心にある世界・番犬の警棒や銃口、カメラが常に私たちの背後にある世界・「国」という抽象概念が常に人々を殺し殺さす世界・裁判官同士のオセロの勝敗に常に従わされる世界・男性の拳や口が常に女性の背後にある世界・「家族」や「学校」という伝道師が常に「子供」や「生徒」を「正しく」未来に導く世界・目覚まし時計やタイムカード、日曜日が常に日常の中心にある世界・毎日、昼間や夜中に、公園に行ったり、散歩したり、自転車に乗ったりすることが常に異端扱いされる世界・私たちの住居を奪うような仕事に常に従事させられる世界・「努力」「忍耐」「成功」といったウソの言葉で、労働の苦痛を互いに共有し励ましあい、いかに権威に従うべきかを常に相談しあう世界・憎しみの根拠もないのに、自分自身の「正しい」立場からは想像もつかない人間を常に攻撃する世界・ダイエット産業や化粧品産業、ファッション誌に代表される退屈(そして本質は残虐)な広告が、「美しさの標準」(それは社会における差別 や消費の大部分を占める)を常に私たちに強制してくる世界・私たちを「子供」「大人」「日本人」「労働者」「妻」といった監獄のような役割に常に押し込める世界・誰もが映画鑑賞やスポーツ観戦の中で、常に「英雄」と「観客」の関係でしかない世界・動物の悲鳴がプラスチックのケースに常に「かき消される」(肉を食うか食わないかよりここが重要である。そして、それは私たちが「男」と「女」、「上司」と「部下」、「国籍」といった植え付けられている強制的 (そして自発的)な役割なしで、自由に泣いたり、笑ったり、怒ったり、人と話したりしようとする欲求を封じ込められることと同じことでもある)世界ーーAcclaim は、このような世界が少しでも無くなることを望んでいる。
だが、少なからず、私たちはみなこのような世界などだれも望んでいないことを既に知っている(権力者どもが言うように「だれもがみな平和を望んでいる」とは言わないが)。このような世界を作ったのは私たちじゃない。このような世界が現状の私たちを作り上げている。ゆえに、私たちは沈黙を壊し、それぞれの生の行為者になることは可能かもしれない。
Acclaim は今の世界が退屈でしょうがなく、息の詰まる思いなので、そのことをたんにシリアス(だが、まったく「無理」はしてない)に受け止め、そしてむしろ抵抗や革命を楽しんでいる。私たちにはそれぞれ個性がある。その一つ一つの「個」とは、「これが自分だ」と自分でわからずの状態のときこそで、それが真の抵抗や革命の力となる。ゆえに、Acclaimは、メディアやアルバイト情報誌で言われる、おぞましい「男らしさ」をアピールし、勝ち負けを無理矢理、自分自身に・他の人間に下すためであったり、消費することで社会に自分の価値を位 置付けるため、といった、このシステムにとっての「自分さがし」なんかしない。自分自身が何かをやってなかったり、自分自身が何かを持っていなかったりすることが、「自分自身じゃない」なんていうのはまったくの大ウソである。そのような基準は、私たちに死ぬまで労働させ、私たちを沈黙させ、私たちに自分自身で考えることをやめさせ、私たちを互いに競争させ、この経済を維持させるための権力のスリ替えにすぎない。このシステムに抑えつけられ、踏み付けられている自分の欲望を信じることこそが大切なんだ。
- Kazu / Acclaim (2004)