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[記事・論説紹介]天皇制批判の衰亡を自己批判的に直視する - 前田年昭 (2019年6月27日 / 繙蟠録 II)

天皇制批判の衰亡を自己批判的に直視する

芸人が「反社会的勢力」と接触したらダメだという珍論(!)に、三國連太郎が生きていたら何と言っただろうか。天皇即位の周年「奉祝」で曲を拵えるなんて糞である。「時は令和元年」などとバトルで粋がるラッパー、選挙行かなきゃと説教垂れるパンクス……、やめてくれ!莫迦の極北ではないか。新年一般参賀(19.01.02)に154,800人、皇位継承一般参賀(19.5.4)に141,130人――ときくと、腹が立ってしょうがない、死ねばいいのに、と「非国民」であることに誇りを持つ私は思う。

 若い人たちに天皇制への批判が欠片もない現状をどう見るべきか。結論を先取りしていえば、左翼の敗北である。天皇賛美一辺倒は左翼の敗北に起因する。私は、左翼の一人として、敗北の事実を直視するところから総括しなければならないと考えている。

 近代天皇制は資本主義によって拵えられたものであり、天皇制イデオロギーはそれまで民衆とは縁がなかった。改元騒ぎで『万葉集』が国民歌集だと喧伝されたが、すでに品田悦一 「国民歌集の発明・序説」1996、他が明らかにしたとおり、国民文学としての万葉集は近代になって作られた。では、今の、民衆の思想における天皇制へのドレイ的無批判はどこから来たのか。民衆と天皇思想との結びつきはいつ生まれ、明治の資本と権力はなぜこれを利用し得たのか。明治以前の民衆思想と天皇についてはどうか(この点、左翼運動はまだまだ研究不足である)。

 資本と権力は、天皇制を象徴天皇制として完成させるにあたり、天皇が政治権力を行使した戦前は特殊で歴史的にはずっと不執政つまり象徴だったと強調する。だが分析は具体的でなければならず、具体的にみれば、千数百年のうち五、六百年は断続的に執政権力だったのである。象徴天皇制に先立つ不執政の時代といえば近世後期である。天皇思想の形成を分析するには、この時期の民衆思想とのかかわりを見る必要があるだろう。

 私は明治維新は、四民平等を掲げて身分差別の打破をはかる第一歩を記した革命だったと考える。明治政権はこれを簒奪したのである。変革の不十分さを強調するあまり、変革の歴史的意義を否定してしまっては、簒奪勢力を勢いづけるだけである。明治維新100年は反動的佐藤政権による「明治100年」に簒奪され、「建国記念の日」=紀元節復活を許してしまった。明治維新150年をこれまた反動的安倍政権による「明治150年」に奪われたままにしてはならず、階級的歴史観を打ち立てて司馬史観を打ち破っていく必要がある。また、日本資本主義論争を再々総括しなければならない。労農派は、明治のブルジョア経済は捉え得ても、政治権力の基本分析が間違っていた。講座派は独占資本と寄生的地主に支えられた近代天皇制を権力として的確に分析した。だがしかし、薩長藩閥専制権力による強行的帝国主義は明らかなブルジョア独裁であった。いま必要なことは、講座派の階級的な再総括ではないか。(190627)

繙蟠録 II: http://www.teisensha.com/han/hanhanroku.htm