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[翻訳] SHADES OF GREY - Freedom / Incarceration(自由 / 監禁)

SHADES OF GREY - Freedom / Incarceration(自由 / 監禁)

個人の監禁は、彼/彼女自身の意志に従って行動しようとする個人の可能性の物理的/精神的な制限によって維持されているケースがほとんどである。逆の視点から見れば、個人が物理的/精神的な制限のまったくない生活を送るなら、それは個人が定義によって完全な自由を達成したことを意味するのだろうか? 人類の歴史には上記のように、制限なき人生を生きた個人──自分自身とみずからの利益のためだけに生き死んだ人々の多くの実例がある。おそらく一つは、そのような人々がみずからのためだけに高い水準の自由 (彼らは共感・道義・連帯などの形をした制限を欠いているゆえ) を獲得しようとしたからかもしれない。他方では、彼らの自由はほかの人々の抑圧と搾取に直接結びつき、それはいかなる人道主義者にもその自由の形を軽蔑させる理由となった。

人類の文化は、絶対的な自由が人間共存の解決策であることを掲げるイデオロギー・宗教・マニフェスト・本・異なる政治または経済制度の実例にあふれている。これらの考えは人類の歴史のなかで試みられている。いくつかのものは成功し、その一方でほかのものは壊滅的な結果をもたらすこと (あるいは導きながら) に結びついたが、結局少なくともそれらのどれもが絶対的な自由と人間性を提供しないという結論に達することができる。他方では、自由とは相対語である。そしておそらく相対語の一つの問題は、用語の異なる定義が互いに矛盾するので、任意の文脈のなかで十分に用語の一つの定義を使用するのは難しいかもしれないということである。

一人がその対照を見ることによって自由を定義したいと思うような自由の定義「ら」の考えを獲得することは容易なのだろうか? 自由と解放への道はいかなるマニフェストにも書かれていないのだろうか? それはできるかぎり監禁している構造を取り除く問題なのだろうか? あるいは、すべての個人が自由を均等に獲得することのできる政治制度──すべての個人がほかの個人の自由を妨げることなく、できるかぎり多くの自由を獲得することのできる制度を創造することが実際の解決策なのだろうか?

私たちが今日の政治/経済制度を注視するなら、私たちはどこに立つのか? 個人の自由は他者の監禁に依っているのか? 私たちは共存しているのか、競争しているのか?

このアルバムの歌詞はこうした問いに焦点をあてている。私たちはいかなる完璧な答えも持っていないが、私たちはそこに資本主義社会に対する代替手段が存在すると信じている。

私たちは代替手段のために闘い続ける。

Shades of grey - 2010

This statement was taken from "Freedom / Incarceration" LP

(Acclaim Collective / Sadness of Noise / Contraszt! / Pain of Mind) 2010

Translated by Kazu / Acclaim